信じるが信じまいが好きにしろ
この前ふと人を殺す人の気持ちが理解できた
本当に日頃からの精神的ストレスが積もりに積もってネジが一本でもぶっ飛んだら人殺しちゃうんだろうなーって
俺の親戚の叔父は日蓮宗の寺関係の仕事をしている
この前協会長に就任してそれの法要に参加した
その法要自体は無事に終わってけども、その後の法要の時にお偉い先生に直々に呼ばれた
なんだろうなと思い行ったら
「心が深い闇で真っ黒だね、何枚もの鎧に身を固められてるみたいだね…」
と言われた
はじめはよくわからなかったけども
確かに俺はその時その時に自分の弱さを補うために
"自分のなりたい理想の自分"
を演じて来てることを思い出した
多分それしか心当たりがなくて、しかも初対面の人に見抜かれたことに対して怖くなってしまった
俺の父方の家系って曽祖父と祖父が自殺しちゃってるわけでね
なんていうか先祖代々そういうよくない縁があるみたいで
母曰く俺が生まれる前に父の知り合いの神社の人に
「産まれてくる子供がそのよくない縁を一身に背負って来ちゃうかも」
と言われた話を聞かされた
去年の冬の中頃に何やっても上手くいかず、受験は落ちるし、信頼してた人には裏切られ踏みにじられてとても辛くて
認めたくはなかったけど辛い精神的な疾病にかかってたのかもしれない
家族と妹の彼氏と出かけてて、夜が遅くなってあんまり人のいない電車に乗ってたわけ
その前から心が落ち着かなくて突然涙が出てきたり
|彼氏・妹・◯・◯・◯|
扉 通 路
|母親・俺・父親・◯・◯|
みたいな配置で座ってた時に
前にいた妹と彼氏が幸せそうだった
その時自分の中の何かが
「プツンッ!」
と切れたように思ったとたん全てに対しての怒りや憎しみがこみ上げて来た
流石にヤバイと思った母がYouTubeでお経の中の「陀羅尼本」という魔除けの呪文?みたいなのを聞かせてくれた
本当に辛かったけどお経を聞いたらスッて楽になって何をそんなに怒っているのだろうって思った
それから母も叔父がいるお寺で得度をしようと決意したみたい
そして今月また叔父がお経読みに来てくれた
お経を読んでもらっている時にまた色々と嫌なことや辛かったことを思い出していたらこの前の電車に乗ってる時と同じ感覚になった
前回よりも辛かった
本気で目の前に自分に対して害を与えて来た人がいたら殺していたのかもしれない
その時に快楽殺人以外の通り魔とかの人の気持ちが理解できた
「あー人殺したいって思った時ってこんな感じなんだろうな」って
最初にも言ったけど人間どっかのネジが一本でもぶっ飛んだら簡単に人殺さんだなーって
んで後になって我に返って事の重大さに気付くんだろうなーって
まぁ、それだけなんだけどね
本当に普通の人からしたら作り話とか思われるかもしれない
でもこれは現に自分が体験したことであって嘘や偽りをいれるつもりもない
ましてや、妄想やイキリでもなんでもない
ただの自分の体験談に対しての感想を言っただけだから
信じようが信じまいが好きにすればいいと思う
アディオス🦋