し
どうも
最近寒くなってきてどこか孤独感が増してくる季節になってきたとしみじみ思う
本題に入るが
前までの(鬱だったであろう頃の)俺ならば
何か不安の種があると
すぐに冷静さを失って感情的、衝動的になってたと思う
でも最近イライラが頂点に達しても
不思議とスッと冷静になれるようになった
怒りをコントロールすることができる
何故だろうと思って考えた
多分イライラしている内容に対して
強く「どうでもいい」「くだらない」
って思えば思うほど冷静になってると思う
前までは本当に傷つきやすかった
他人の事にも親身に考えたり眼に映る人の汚い闇の部分を見て勝手に傷ついたり一方的に感情を入れ込みすぎて落ち込んで
感情的になって
よくよく考えたら本当にバカバカしいと思う
なぜ他人の事で俺が傷つかないといけないのか?
他人のことを心配して俺が傷つくなんてあまりにもコスパが悪すぎないか?
他人よりも前に大事なものがあるだろう
そう、
自分自身
恋人がいる人や何かに必死な人でも
結論的に1番大事なのってやっぱり自分自身でしょう
まず第1に自分自身がいなければ恋人も出来ないし、何かに必死になることすら出来ないからだ
だから自分が好きじゃないけど、
誰かに必要とされたい
と思う人の気持ちが俺には理解ができないのだ
まず、自分自身
その次に他人でいい
自分自身に余裕が出来なければ
何も出来ない、立ち止まるしか選択肢がなくなるのだ
自己中でもいい
まずは自分自身のためだけにでも前に進まなければならない
でも極端な自分は
自分自身を思うあまり他人に対する共感、痛み、喜びが理解できなくなってしまった
他人がどう思うと自分自身に関係がないからだ
※よっぽど大切な家族、友人は別だが
流石にドライすぎるかもしれないが
これはこの環境の中で俺が前に進む唯一の方法なんだ
ある精神障害者の人にも言ったのだが
「本当に今の現状が辛いならば、
いかなる手段を使ってでも苦しくて血を吐くような思いをして這いつくばってでも前に進んで変わらなければならない」と
孤独でもいい
とにかく前に進まなければならない
でも最初は怖かった
変わるのが怖かった
なぜなら過去の自分を全て批判すること、まさに過去の自分を殺すに等しい
でも変わるためには犠牲が必要だ
俺は自分自身で過去の自分を殺した
あの頃の自分とは決別するために
間違ったとは思ってない
だから今は自分が不幸だとは思わない
仕事さえなければ幸せだと思っている
確かに今の現状は辛い
好きでもない仕事をして
過酷な労働を強いられ、得られるものは賃金と少量の賞賛だけだ
モチベーションなんてあったものではない
でも人目を気にしながら大勢に好かれたいが為に取り繕っていたあの頃の自分に比べれば
今の自分自身の方がよっぽど好きだ
一部の方々には変わってしまったと思われているだろう
でもそうするしかなかった
じゃないと今の環境に適応できずにその先に見える末路は死という名のリタイアなのだから
だから俺は
他人に対しての共感や痛みを後回しにして今必死に進んでいる
関わる人間も
前までは闇雲に誰でもいいから話したいと思っていたけども大きな間違いだった
詳しくは言わないが
その行動の代償が
逆に心が荒む結果を招いてしまった
だから今は少量の信頼できる友人が4人ほどいれば充分だと思う
数が全てではない、問題は関わる人間の質だ
俺の友人は本当に密度が濃い話してて波長が合うし、もともとドライだった自分が高校卒業して以降でも関われるのは正直驚いている
この間も自分のことをブログに書いてくれて冷静に分析してくれてとても感謝している
だから
それ以上の人間関係は恐らく構築できないとおもう
なら上部だけの関係よりも既存の友人と呼べる関係の方を最優先したいと思う
あと極力人と話したくないのも理由だと思う
人と話すときはある程度計算しながら話してるから結果的に神経を使い疲れてしまう
ならば波長の合う信頼できる友人だけでいい
数多い人間関係は疲れるだけだ
だから恋人も必要ないし上部だけの人間関係ならばあって無いようなものだと思う
だから数少ない友人が自分のことを少しでも肯定してくれればそれでいい
大勢の人に認められなくてもいい
俺自身が自分を肯定すればもうそれで充分
だって1番大切なのは自分なのだから
アディオス🦋